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藤川直樹「ドイツ立憲君主政における王統と国家」

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昨日以下の抜刷りを落掌。感謝。

藤川直樹「ドイツ立憲君主政における王統と国家ーヘルマン・レームの公法学ー」『國家學會雜誌』126巻3・4号、101-162頁

東大法学部ドイツ法のホープである著者は、この論文の元となった修士論文で修士号を取得し、助教採用された。本論を理解する能力・素養、そして何より時間がないので、とりあえず序論と第三章第三節を読んで骨子をつかませていただいた(本論には結論部が独立して存在しない)。

ヘルマン・レーム(1862〜1917)の世代においては、ゲルバーやラーバントら一世代前のゲルマン法学者にとって自明であった「多元的な法源状況を前提に意思主体としての国家法人を軸に国法体系を切り出していくのではなく、かかる国家法人を中心に据えて法源を一元的に把握することが試みられる」(136頁)。「中世的」法秩序においては不統一な法源から国家像が帰結されるのだとすれば、20世紀を迎えんとする時代にあっては、もはや近代国家を前提としてそれを矛盾無く構成する法源が問題の対象となる、・・・そう大雑把な歴史的解釈をしてもよろしかろうか。いずれにせよ、こうした相対する学問的営みの狭間に位置するのがレームなのであろう。狭間に位置するが故に各方面から批判が相次いだようだが、それでその学説の価値が低くなるわけではない。著者はレームに目を付けた背景には、そんな思いもあるのかもしれない。

本論はレームの公法学説を「初期」「中期」「後期」に区分して分析し、その全体像の再構成を試みた。簡明な叙述と精緻な論理によって、内容の理解は門外漢でも十分できる。

1点結論部分でピンと来なかったのが著者の「社会史」の用い方であった。非常に広めに取れば分からなくはないが、少なくとも一般史の人間からすると「社会」はまだ見えてこない。無論一般史で用いられる「社会史」も厄介な問題をはらんでおり、それについては先週の大学院ゼミでも少し議論になったばかりである。

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