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高校世界史についての雑感

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講義や演習を行う中で常に気にかけているのは、学生が西洋史についてどこまで知識を有しているかということである。換言すれば、知識面において共通の前提は設定可能かどうか、ということ。そのため、頻繁にこう問いかけてしまう。

「これ高校世界史で出てきたはずだけど、知っていますか?」

これで頷いてくれるとしめたもので、それを足場にさらに議論を深めたり、関連事項を追加することが可能となる。例えば先々週の講義で隠修制の先駆者とされる聖アントニオスについて話した。修道制を語る上で欠かせないこの大人物は、しかし多くの受講者にとって未知の存在のはずであり、修道制におけるその意義を理解できたとしても、より大きな文脈・枠組みの中でとらえることは難しい。しかしその伝記の著者がアレクサンドリア主教アタナシオスで、それが世界史の教科書にも載っている「アタナシウス」だということが分かり、さらに彼が当時アリウス派との教義論争の真っ最中だったことが分かれば、アントニオスがおかれていた状況もおぼろげながらでも理解されるのではないか。

大学の歴史の講義は、学生にとって未知の領域である(いやむしろ未知の領域でなければならない)。未知の領域へ飛翔する際の足場として、高校世界史の教科書はとても有用だと思う。そう考えると、授業をやる側が高校世界史の範囲、出てくる単語をちゃんと把握しておくことは、授業中知識の共通前提を設定する上で本質的に重要なのではないか。しかし教える側は、大学受験から長年を経てしまうと教科書で何が書かれているのか忘れてしまうものである。教科書を見返すのは入試問題を作る時と、教科書そのものを執筆する時。それはやや残念な気がする。

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