twitterでのやりとり
最近twitter上で、自分の専門に関わるトピックで大変刺激的な議論がなされています。自分も興味を持ったトピックには口を出すようになったのですが、いかんせんルーズなつぶやき形式に加え、お互いの研究者としての背景を端折って話をすることが不可避なため、議論が思わぬ方向に流れたり、誤解に基づいて無益なつぶやきを続けることもあるようです。しかし、何より有益だと思うのは、今まで一切接触をしてこなかった人たち(とりわけ留学中のDoktorandたち)とコミュニケーションを行う場が提供されたということですね。無論、ネット上のつぶやきで終わるものではなく、今後実際に顔を合わせて、相互理解を深め、有意義な議論を行うことが念頭にありますが、そのためのVorspielと捉えることができるでしょう。
日々、基本的に指導教授やそのスタッフたちという狭いサークルの中で、自分の研究の正当性、あるいは「自分がやっていることは間違っていない」というほのかな自負心が保たれます。それ自体は悪いことではないのですが、こうしてtwitterなどで外の世界に一歩踏み出すと、自分とは異なる問題意識、研究手法・対象を持つ人たちに思いがけず出くわす。そして、そのときに自分が一瞬「揺らぐ」のが楽しい。揺らぐ、あるいは抵抗感と共に緊張する、とでも表現すべきか。何はともあれ博論を仕上げたいと思っている時、こういう「揺らぎ」は時にノイズになりかねないのだが、バランス感覚を持って接することが出来ると、自分は高揚感を覚えます。
とあるツイートに
文学部でも専攻を越えて、合同ゼミや研究会、共同での学会発表、フィールドワークなどを試みる教育プログラムがあれば良いと何度思ったか。タコ壺化は理系だけの問題ではなくて、人文・社会科学系の方が深刻ではないか…
というものがありました。ディシプリンが多様なだけに、人文社会系の方が深刻だという指摘はまったくその通りだと思います。歴史学内に限定してもこれはぴったり当てはまる。個々人が自分の研究テーマ・史料に没入することそのものはもはや誰も批判しない(たまに『史学雑誌』の「回顧と展望」にオイオイと思わせる記述が見られるが・・・)。なのでその上でどう対話するか、が今の課題ですね。「そんな問題意識、結構前から共有されてるって」というつっこみが聞こえそうでお恥ずかしい。どうも自分には周回遅れに甘んじるところがあります。
今母校の談話室がどうなっているのか分かりませんが、あそこはそういう意味で最高の場でした。西洋史学でくくられたPD、OD、院生、学部生が入れ替わり立ち替わり会話できる場。渡独以前、もう少し有効活用しておけばよかったなと後悔しているところです。
しかし、もしかするとtwitterにはそれに代わる機能が期待できるのかもしれない。無論2chやmixiの前例もあるので期待しすぎは禁物ですが、このプラットフォーム、今後どうなっていくのか注意深く見守っていきたいと思います。
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