中世のペストに関する3つの誤解
この記事は、中国、モンゴルから中東を経て、1347年から1352年にかけてヨーロッパで蔓延したペスト(黒死病)、いわゆる大ペストについて、3つの誤解を解こうとするものである。いや、そんな誤解はしていないという人もいるかもしれないが、COVID-19にともないこの中世のペストが引かれることが多くなったので、あえてこのタイミングでまとめておきたいと思う。
本題に入る前に、この記事の内容を調べることになった経緯を説明しておきたい。
僕が所属する東京都立大学では、3月後半に予定されていた多くの卒業イベントが中止、ないし大幅に縮小して実施となり、卒業生と名残を惜しむ時間もほとんどなかった。さらに、オリンピックの延期が決まった頃、新学期の授業開始もゴールデンウィーク明けに延期となった。この間学生はほったらかしとなり、とくに新入生は1度もキャンパスに足を踏み入れることもできず、東京都の方針を受けて、引っ越しは完了し家賃を支払っているにもかかわらず、東京の新居に転入できていない人も数多くいる。僕自身も大学進学に際して地方から上京してきた身であり、あの時に今日と同じ状況にあったらどうか、と想像するに非常につらい。
そうしたなか、人文社会学部の新入生が自主的に教員にコンタクトを取り、授業が始まるまでに読んでおくべき推薦図書について情報を集め始めたという。その意気込みを受けて、彼らを対象にzoom勉強会が企画された。4月後半に全6回が実施され、僕も最終回を担当させてもらうことになった。自主的な学びへの渇望とそれに快く応えること。これこそが大学の営みの本質なのではないか。新入生の意欲にいたく感心した。
僕の担当回が4月27日であった。当初はCOVID-19を念頭において、漠然と「中世のペスト」について、同時代の史料を扱いながら感染の様子や中世の人々の認識でも紹介しようかと考えていたのだが(石坂尚武『イタリアの黒死病関係史料集』は良書である)、最終的にこの中世のペストに関して何点か誤解されてきたことがあるな、と思い至った。そこで、主だった誤解を3点整理しておきたいと思う。
誤解その1:中世にペストが蔓延し、くちばしのようなマスクをつけた医師が治療に従事した
まずはペスト医師について。この挿絵には、ペストの治療に従事する医師が身につけるべき服装が描かれている。つばのついた帽子、全身を覆い厚みのある防護服、手袋、そして手には先端に砂時計のついた木の枝を持っているが、何より印象的なのは鳥のくちばしような奇怪なマスクである。現在、イタリアで毎年盛大に行われるカーニバルの祝祭でしばしばこのような格好をした市民がいるため、見覚えがある人も少なくないだろう。
「疫病の医師が行進、カーニバル中止のベネチア」https://www.afpbb.com/articles/-/3270803
このペスト医師にふさわしいとされる服装は、1619年にルイ13世お抱えの医師シャルル・ド・ロルムが最初に考案した。いわゆる17世紀科学革命が進行中で、啓蒙思想の到来を目前としており、科学的・合理的思考がヨーロッパ社会に根付こうとしていた時代のことである。中世にはこのような衣装はなかったのである。問題は、この図像がそれより300年も前の14世紀のペストと結び付けられて理解されることが多い、ということである。ウィンストン・ブラックが2019年に出版した『中世ー事実とフィクション』によると、こうしたペスト医師に関するアナクロニズムは英語圏の歴史教養書でしばしば見られるという。日本においても、例えば次の記事は、中世のペストについて説明しながら「ペスト医師のカラスの顔のようなマスクも、空気感染を防ぐためのもの」としている。
「歴史は繰り返される?ペストと新型コロナウイルスへの対応」https://www.sekaken.jp/whinfo/blog/k164/
ほかにも、キャプションでマスクをつけたペスト医師の格好が17世紀に遡ることを記しながら、本文で中世のペストを扱う記事もある。
「14世紀のペスト大流行の後は経済が急拡大した…しかし今回はそうではなさそう」https://www.businessinsider.jp/post-210607
こうした図像の操作については、何もペスト医師だけの問題ではないらしい。ジョーンズとネヴェルは、現在の出版物やウェブサイトで中世のペストを示すために用いられる図像(例えばペスト患者を描いたもの)のほとんどは、そもそもペストを表現するために描かれたものではなかったと指摘している。ユーラシア規模で前代未聞の犠牲者を出した大ペスト。それだけにインパクトは大きく、人口に膾炙するからこそ時代錯誤による誤解が生じ定着しているのかと思うが、それ以上に、我々が抱いている中世観、つまり暗黒の時代であり非科学的で野蛮、といったイメージに、この奇怪なマスクをつけたペスト医師が見事に適合するのかもしれない。中世についてこうした歴史観の混乱はしばしば見られる。中世にはほとんど見られなかった魔女狩りなどはその好例であろう。
誤解その2:大ペストのさなか、ユダヤ人は井戸に毒を投入したという陰謀論により迫害が起きた
1340年の時点で、ユダヤ人はヨーロッパの人口の約1%を占めていた。大ペストの時期に、スペインからドイツにかけてユダヤ人迫害(ポグロム)が頻発したことはよく知られている。キリスト教徒とユダヤ人は-とりわけドイツ語圏では-それまでうまく共生していたようであるが(拙訳『中世共同体論』参照)、突如として大規模な迫害・追放が各都市で起こった。これまで多くの研究者がその直接的・間接的理由を探ってきたが、そこでしばしば問われてきたのが「大ペストが先か、ユダヤ人迫害が先か」という問題である。以下、佐々木博光「黒死病とユダヤ人迫害」を参照しながら、フランス東部のストラスブール周辺で書かれた同時代の年代記を見ていこう。
また、ユダヤ人は泉や井戸に毒物を投げ込むことによってこれほどまでにペストを大きくしたと誹謗された。かくして、教皇クレメンス6世が彼らを保護したアヴィニョンをのぞけば、地中海からドイツにいたる各地で彼らユダヤ人は焚殺された。
ノイエンブルクのマティアス『帝国年代記』より
この記述からはたしかに、ペスト禍にあって井戸に毒物を投げ込んだという陰謀論によって各地でユダヤ人が迫害されたことが読み取れる。当時の史料のみならず、現代の研究者が書いた概説書にもそうした理解が散見される。しかし、これを事実と受け取るのは安易であり、史料批判をしなければならない。
佐々木が指摘するには、個々の都市について史料をあたってみると、ユダヤ人がペスト禍における陰謀論によって迫害されたケースはほとんど見当たらないそうである。しかも、上で引用した年代記さえも、一般的な次元でこのような書きぶりをしているにもかかわらず、ストラスブールについてポグロムが1349年の2月14日、ペスト到来が同年6月中旬であったと説明している。
またクローゼナーの『ストラスブール年代記』によると、ユダヤ人の処遇をめぐって、これを保護する市当局と、彼らに毒物混入の罪を着せ火刑にすることを願った政治グループとの対立があったことがわかる。そして、ユダヤ人迫害が起こった1349年2月14日の数日前に、政治クーデターが発生していた。つまり、そもそもユダヤ人の迫害はペストとは関係がなく、キリスト教徒同士の政治抗争に巻き込まれて発生したと言えそうである。ここで僕に他の地域に視野を広げる余力はないが、ユダヤ人迫害の理由は都市ごとにケース・バイ・ケースであり、上で引いたマティアスの年代記証言は彼の雑駁な印象を記しているに過ぎないようである。
それでは、なぜ井戸に毒を投入してペストを広めたという陰謀論(A)によってユダヤ人は迫害された(B)、と理解されるのであろうか。そこで考えられるのは、私たちは-そして同時代を生きたマティアスも-歴史認識として「A→B」の因果関係を容易に受け入れる素地を持っている(た)のかもしれない、ということである。言い換えれば、災害時にマイノリティの迫害が生じる理由について、理解の範型、パターンのようなものを持っているのかもしれない、ということだ。ここですぐに思い出すのは、関東大震災の時に起こった朝鮮人の虐殺である。あの時、朝鮮人が井戸に毒物を投入した、というデマによって一連の事件は起こった。僕たちは無意識のうちに、こうした範型に当てはめて中世のユダヤ人迫害を理解しようとしているのかもしれない。
いずれにせよ、歴史観の形成にあたって、私たち自身が有している認識の癖はいつも自覚しておいた方がよさそうだけど。E. H. カーの『歴史とは何か』を改めて紐解くのもいいかな、という気持ちにさせられる。
誤解その3:大ペストは社会を一変させ、資本主義やルネサンスをもたらした
以上は学術的にはほぼ解決している誤解だが、3つ目の誤解はそう単純ではないので少し慎重に書きたいと思う。14世紀半ばの大ペストによって、一方で人口が激減してヨーロッパの社会・経済が一変し資本主義が生まれ、他方でキリスト教信仰が揺らぎ人文主義やルネサンスが到来した、といった言説がしばしばみられる。今回のCOVID-19を受けて書かれたものの中にもこの種ものが散見される。もちろん、大ペストという歴史事象が社会に与えたインパクトについては、各論者の書き振りにグラデーションがある。例えば次の記事は歴史の専門家によって書かれたものだけあってとても慎重である。
「14世紀半ば、全欧が怯えた「黒死病」パンデミック」http://a.msn.com/01/ja-jp/BB12seT4?ocid=st
しかし、次の2本の記事はどちらもそのインパクトを極端に高く評価している例である。極端であるがゆえに、歴史理解が正確ではない箇所もある。
出町譲「人類と感染症 2 「ペスト」とルネサンス」https://japan-indepth.jp/?p=51234
「(明日へのLesson)第3週:クエスチョン 感染症による社会の変質を考える 東京大学入試問題から」https://digital.asahi.com/articles/DA3S14441762.html?pn=1
もちろん、専門家によるものではないため致し方ないことであるかもしれない。しかし、ここであえて強調したいのは、一つの出来事によって歴史の大きな流れを一括りにとらえたい、という欲求についてである。この気持ちに抗うことはなかなか難しい。
1789年7月14日に起こったバスティーユ牢獄の襲撃はフランス革命のきっかけとして重要だが、その後の展開を「決定づけた」とまでは言えない。これはすぐに理解してもらえるだろう。一方、大ペストは約5年にもわたって続いたカタストロフィーである。これが社会を大きく転換させ得たととらえることもできそうなものである。
しかし、今世紀に至るまでの研究、さらには今世紀になって現れた新しい研究は、社会の変化はもっと長いスパンで理解しなければならないことを教えてくれる。20世紀において、14〜15世紀の社会経済史研究が大幅に進んだ。それらを総ざらいした瀬原義生はこうまとめている。
1349年の大黒死病は、大量死を招いたが、それ自体としては、顕著な永続的影響を残さなかった。しかし、その後の、度重なるペスト禍と、それに伴う深刻な人口消耗は、1370年頃になると、人口復原力を上回るにいたり、人口の減少の恒常化はしだいに厳しい経済的影響をおよぼす要因となった。
瀬原義生「大黒死病とヨーロッパ社会の変動」より
例えばイタリアのシエナは大ペストにより人口の約80%を失ったが、流行が落ち着くとすぐに市政が再開された。社会はそれほど脆弱にはできていないということかもしれない。しかし、第2波(1361/62年)、第3波(1369年)、第4波(1375年)とペストの波が繰り返しヨーロッパ各地を襲ったことが、社会の変化(例えば労働人口の激減)を食い止めることを不可能にした。
さらに、大ペストをそのインパクトにおいて相対化しようとする見方は、中世後期の危機はすでに14世紀の初頭には始まっていた、という理解によって強化されるだろう。ユーラシア大陸全体の視野におさめ、気候などグローバルな自然環境も分析しながら13世紀末から15世紀にかけてヨーロッパ社会の大変動(the Great Trasition)(5月2日追記:『現代思想』vol. 48-8で諫早さんが「大遷移」としていたので訳語はこれにしましょう)を論じたキャンベルの新著は注目に値する(そのため今学期、僕の学部ゼミではこれを講読する予定である)。
社会の変化が14世紀を通して生じたとして、その中で大ペストが持つ意味は何か。それは、「問題の加速化」ということに尽きるだろう。13世紀に農村社会はすでに人口飽和に到達しており、社会は潜在的に構造転換を必要としていた。このことは、COVID-19の感染拡大によって人とのコンタクトを制限され、働き方、学び方について議論せざるを得ない状況に陥っている僕たちにとって、とても理解しやすいのではないかと思う。こうした諸問題はCOVID-19が蔓延して突然降って湧いたものではなく、私たちがこれまで見て見ぬ振りをしてきたものに過ぎない。
中世のペストは、僕たちがしばしば陥りがちな歴史認識の落とし穴についてうまく教えてくれる題材であった。それもこれも、今日未曾有のパンデミックに直面しているからに違いない。中世のペストに関する誤解と歴史認識の問題を頭の片隅において、改めて今日の問題に目を向けることも悪くないだろう。
参考図書
- Lori Jones and Richard Nevell, Plague by Doubt and Viral Misinformation, in: Lancet Infectious Diseases 16, no. 10, pp. 235-240.
- Joseph P. Byrne, Encyclopedia of the Black Death, Santa Barbara 2012.
- Bruce M. S. Campbell, The Great Transition. Climate, Disease and Society in the Late Medieval World, Cambridge 2016.
- Winston Black, The Middle Ages. Facts and Fictions, Santa Barbara 2019.
- 佐々木博光「黒死病とユダヤ人迫害ー事件の前後関係をめぐって」『大阪府立大学紀要 人文・社会科学』第52巻、2004年、1-15頁
- 瀬原義生「大黒死病とヨーロッパ社会の変動」『立命館文學』第595巻、2006年、102-164頁
- 石坂尚武『イタリアの黒死病関係史料集』刀水書房、2017年
- アルフレート・ハーファーカンプ著/大貫俊夫、江川由布子、北嶋裕編訳、井上周平、古川誠之訳『中世共同体論』柏書房、2018年
はじめまして、
先生の研究文がFBでシェアされましたので、読ませていただきました。
私は専門研究者ではないので詳しいことはわかりませんが、成る程と説得させる内容だと思います。
しかし一点、「関東大震災の時に朝鮮人を虐殺」とありますが、違うことを言っている人がいます。
https://www.gstrategy.jp/blog/1109/
私も日本人として、日本人は残虐なことができる民族ではないと思います。
朝鮮人虐殺についてですが、以下の声明文をご覧ください。政府が作成した調査書にも触れられています。
http://rekiken.jp/appeals/pg389.html