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『知のミクロコスモス』読み進めています

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大貫の大学院ゼミでは、合間合間に参加者の研究発表を挟みつつ、順調に『知のミクロコスモス』を読み進めています。昨日までの段階で終わったのは

  1. 赤江雄一「語的一致と葛藤する説教理論家」
  2. 水野千依「キリストのプロフィール肖像」
  3. 平岡隆二「イエズス会とキリシタンにおける天国(パライソ)の場所」
  4. 菊地原洋平「ルネサンスにおける架空種族と怪物」

の4本です。特に水野さんの論文が個人的にとても面白く、僕も初期中世〜盛期中世のキリストの描かれ方の変化を図像を交えて紹介し、そこからルネサンス期の特質を浮かび上がらせて理解の助けとしました。そう言えば、先日筑摩選書から『キリストの顔  ─イメージ人類学序説』が出版されましたね。

キリストの顔: イメージ人類学序説 (筑摩選書)

キリストの顔: イメージ人類学序説 (筑摩選書)

 

 まだ生協でパラパラページを繰っただけですが、大変素晴らしい本ですのでとてもお薦めです。

昨日読んだ菊地原論文も大変刺激的で、プリニウスアウグスティヌス、そしてイシドルスの架空種族理解がルネサンス期までいかに根強く残存したのかが分かりましたが、5世紀以降ヨーロッパが東方世界と交易が途絶えたという歴史理解を議論の大枠にしていることには疑問を抱かざるを得ません。本当に閉じてしまったのでしょうか?最近ゲルマン人フン族を介してユーラシアの遊牧騎馬文化に接続していたという話を佐藤彰一先生の論文、ポスター発表から知ったばかりなので、古代末期〜初期中世におけるヨーロッパ世界の開放性を意識せざるを得なくなっているという事情があるわけなのですが。

個人的には、開かれていた、つまり直接東方世界で見聞を広げることができていたにも関わらず、なぜプリニウス的理解が根強かったのかについてより深く知りたいと思いました。13世紀にアジアを訪れたヨハンネス・デ・プラノ・カルピニらが、なぜ旧来通りの架空種族理解のまま叙述したのか。心理的に距離感を覚える対象は、異形のものとして描かざるを得なかったのでしょうか。

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