遅塚忠躬『史学概論』第1章
月曜5限の西洋史演習で遅塚忠躬『史学概論』(東京大学出版会、2010年)を読んでいます。西洋史の学生だけでなく、東洋史の学生も出席してとても刺激的です。できれば日本史の学生にも出てほしかったのですが、日本史は教員も多く授業内容も厳しいので、学生はそれを消化するだけで精一杯なのではと想像しています。
あまり文学部で教科書を指定することはないのですが、今回試しに(購入を強制はできませんでしたが)10冊ほど入荷してもらいました。そうしたら、僕の想像を超えて7冊くらい売れたようです。僕にとって1銭の得にもなりませんが、学生の手元に本書が置かれ、授業を通してページが繰られることを想像するだけで嬉しくなりますね。
授業のペースは、1回につき30ページくらいです。レジュメを切ってきてもらい、必要に応じて用語解説もしてもらう。人数は15人弱集まり、1人1回担当すれば学期末を迎えます。
前回で第1章を読み終えました。そこで歴史学の目的を
の3つに区分して論じていますが、特に1が、いわば本能的に人(市井の歴史愛好家から大学の歴史学者まで)を歴史に引きつける要素です。筆者は1-6で尚古的歴史学で扱われるものとして「事件史と個別的伝記」は影をひそめたとします。しかし、無論それが死んだわけではなく、「出来事」は「復権」し、広義の文化の中に置き直されるようになったとします(そして2と3に融合してゆく)。この「出来事の復権」のことを僕は時折忘れてしまうので、G・デュビーからの引用(本書37頁)を再引用しておきます。
「時代を通じて文化の根底を穏やかに移動させるあの漠とした運動にまで到達するには、事件を探索することが、たんに可能であるとか有用であるとかにとどまらず、決定的に必要であるように、私には思われはじめていた。・・・事件が突如明るみにだすもの、その余韻が結果としてもたらすもの、言葉にならない真相から事件の爆発が浮上させるもの、潜在の中から歴史家に啓示するものがあるからこそ、そう言えるのである。」
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