西洋中世学会第5回大会
週末は西洋中世学会第5回大会が中央大学で行われました。日本のヨーロッパ中世に関わる大御所〜若手が多数来場して文字通り1ヶ所に集うのはこの機会を除くと考えられないので、それを成し遂げ5回目を迎えることができた学会の功は大きいです。
今回は事務局員として常任委員会に出席するところからだったので、土曜朝一に出て日曜最終で帰るというスケジュール(もう一泊して月曜日にゆっくり帰るという選択肢は僕の場合ありません)。さすがに疲労の蓄積が著しいです。常任委員会では、Fさんが書記として奮闘しておりました(今度出席できる時は私代わりますよ?)。
初日の自由論題報告の白眉は岡本広毅(立教大学大学院)「Sir Gawain を襲う危機――リチャードII世と 14 世紀末のチェッシャー 地域――」で、その内容はオシテオサレテにまとめられています。論旨は明快、とりわけ政治上の征服活動をベッド上の「征服」と重ね合わせ得る根拠として動詞depreceの多義性に着目したのは面白かったです。質疑で出た「トロイとしてのロンドン」と地方の関係は、議論にさらなる幅が生まれるという意味で評価できます。
2日目のシンポジウムでは、 加納修(名古屋大学)「「ローマ法にしたがって」――中世初期ヨーロッパにおけるローマ法観念と法実践――」が初期中世におけるローマ法継受の諸問題を扱い興味深く拝聴しました(これもやはりオシテオサレテにて)。ここではさらに山本成生(学習院大学)「音楽家概念の継承と変質」を挙げておきましょう。最後に、カロリング・ルネサンスとカロリング期に大発展した音楽史が互いに言及し合わないという問題が指摘されていました。
両日通じて思ったことを1点。西洋中世学会は歴史、哲学、文学、美術、建築、音楽などこれまで個別に活動していた領域を総合しているため、大会では自分の専門とは異なるディシプリンで研究している方の発表を聞くことになります(そういう発表を聞かせるのも大会の重要な趣旨)。そのため、必然的に発表する側は隣接諸領域の人に語り聞かせているという意識を持って準備・プレゼンしなければならないわけです。分野の慣行というものがあるのかもしれませんが、例えば僕のような歴史の慣行に慣れ親しんでいると、レジュメにはせめて議論の要点は書いておいてもらいたいのです。マテリアルだけ掲載してもいいのですが、その場合は議論の進行が分かり易いようにパワーポイントを活用するとか(シンポジウムの趣旨説明はこの点で優れていた)。
しかし最も重要なのは(そして日本人が最も不得手とするのは)「語り口」ですね。最低限、「十分大きな声で」「ゆっくり」そして「滑舌よく」。一方、読み上げ原稿を用意する伝統的なプレゼン手法の場合、特に1文1文抑揚無く読めてしまう問題があります。しかし議論には、強調するところとそうでないところがあり、まっすぐ進むところがあれば180度転換するところがあり、階段を上るところもあれば坂を滑り降りるところもあるわけです。これを楽器等を用いず、自らの語りと可能な限りの身振りで表現するトレーニングが必要なわけですね。
あと4月から授業をするようになったということもあり、「この人はこういう語り口で授業をやるのかな。だとしたら・・・」という観点からも報告を拝聴していました。結局研究と教育は一体的、不可分なものなのです。
ともあれ2日間お疲れ様でした。シンポジウムは相当な準備をして臨まれていたと伺っています。ペーパーになるのを楽しみにしています。
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