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山田欣吾「Verfassungsgeschichteについて」その2

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少し前に,ツイッター界隈で「一般史 Allgemeingeschichte」というタームについて少し議論になった。ここから改めて,では文学部の歴史学(つまり「一般史」)は法学部の法制史,経済学部の経済史,自然科学系の科学史等といかに異なるのか,という疑問が浮かび上がる。これについては時代や 国によって様々な見解があり得るし,「文学部で行われる歴史研究であればそれは一般史」というような消極的な定義も可能であるし,まあそれが一番正解に近い気もする。ここでは,山田先生の「Verfassunggeschichteについて」にブルンナーの見解として以下のような記述があったので,備忘録代わりに引用しておく。

ブルンナーによれば,法史,経済史,社会史などの歴史的個別諸科学は,法学,経済学,社会学などの一部として成長したものであり,法,経済,社会などをそれぞれ一つの自律的領域としてその研究対象とする。こうした歴史的個別科学の簇生(ブルンナーはこれを歴史学の分化とはみない)は,19世紀以来の近代主義的「切り離し思考」(Trennungsdenken)と相まって「歴史家」の研究にも悪影響を及ぼし,それをますます部分化,断片化せしめるにいたった。最近世代の歴史家は自分のVerfassungsgeschichteを書くこともできなかった,とブルンナーは批判する。歴史家は独自の対象領域を求めて,法と区別された意味での「力(マハト)」の領域に研究を限るか(狭義の政治史),Verfassunggeschichteを法学的法史家の手にゆだねて経済史といった隣接領域に退却してしまった。そこで,圧倒的に法史学の影響化に立つVerfassungsgeschichteは,法実証主義的Verfassung概念のもとで,基本的にVerfassungrechtの歴史に自らを部分化してしまった。しかし,歴史家の関心は,本来,法律家のそれとは全く異なるべきものだ,とブルンナーは言う。例えば,同じ過去の法現象を取り扱うにしても,「その法史を,法律家は,現在の法の歴史的生成を理解するために,法学の枠内で研究し,歴史家は,彼がその運命を記述しその行態を把みたいと欲するかの諸団体の内的構造を知るために行なう。・・・法律家にとって問題は法または個々の法制の歴史的発生であるとすれば,歴史家にとっては民族の変化,その運命,全体としてのその諸秩序が問題なのである。」(p. 530)

ここにはブルンナーの歴史家(「一般史」家)としての強いアイデンティティが伺われるし,積極的に「何を成すべきか」が論じられている。無論ブルンナーの議論には常に「民族 Volk」解釈の難しさがつきまとうし,「諸秩序」と言ってはいても,基本的にシュレージンガーが述べたところの「政治的秩序」がその主眼にある。しかし,それを留保したとしても,この中で出てくる「諸団体の内的構造」は含意に富み,歴史家の課題に一定の指針を与えてくれるのではないかと思われる。

他学部多学科で法制史,経済史,科学史,文化史,宗教史等の枠組みに身を置いて研究するのに比べ,文学部西洋史学科で研究するというのは,ディシプリン上自由裁量の余地が大きい分,一体何をすればいいのかと悩むことしばしである。これは一種の皮肉と言えようが,しかし学としての伝統が確固たるものとして継承されていない日本では必然の事態である(このあたりについては土肥恒之『西洋史学の先駆者たち』が興味深い)。日本に中世史学会が興り,隣接諸学問との議論が活発になりつつあるがゆえに,改めて「一般史」とは何かを考えることは非常に有意義であろう。 

西洋史学の先駆者たち (中公叢書)

西洋史学の先駆者たち (中公叢書)

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