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山田欣吾「Verfassungsgeschichteについて」その1

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12月のある日,口述試験対策で領邦権力について調べていた。そこではオットー・ブルンナーに立ち返る必要があり,その流れで山田欣吾先生の論文「Verfassungsgeschichteについて」『一橋論叢』64号,1970年,519-538頁にたどり着いた。これはPDFとしてダウンロード可能。かつてこのような論文を好んで収集・乱読していたのだが,このところは遠ざかって久しい。山田先生に関する四方山話は追々記すとして,KAKENで検索したら先生は2009年まで北大法制史の田口先生の科研プロジェクトに加わっておられたようだ。今はどうしておられるのか。今回の渡独の成果報告を兼ねてお便りしなければなるまい。

さて本論は,戦前から戦後にかけてドイツ国制史を牽引したヴァルター・シュレージンガーとオットー・ブルンナーの言説から,ドイツの「国制史 Verfassunggeschichte」概念を理解しようとしたものである。冒頭で両者に理論的影響を与えたカール・シュミットのVerfassung観を整理し,「規範的」側面と「実状的」側面に分類する。その上でまずシュレージンガーの論考”Verfassunggeschichte und Landesgeschichte”を採り上げる。シュレージンガーは,国家無き時代のVerfassungを扱う必要から,Verfassungは国家のみを対象とするのではなく(近代史を扱うならそれでも良いのだが),より一般的に「政治的秩序politische Ordnung」を対象とすることを主張していた。

次いでブルンナー。ブルンナーは戦後,自著”Land und Herrschaft”においてコンツェから引っ張ってきた「構造史 Strukturgeschichte」の重要性を主張した。山田はこれを次のように要約する。

ここでは,本質的に”政治的”な存在であるところの人間および人間集団の歴史を人間の本質的属性=政治の視点から全体性において記述することが歴史家の仕事だ,ととらえられているのであり,この独特の意味での政治史は軍事・外交・権力闘争史ではなく,政治の視点からみられた当該共同社会(Gemeinwesen)そのものの歴史なのである。(p. 531)

ブルンナーは,とりわけ法制史の分野で行われてきた近代的概念装置による中世理解(中世に国家はどの程度成立していたのか,いなかったのか?)を批判し,中世史はあくまで中世史料から抽出された概念で理解するべきであると論じた。山田は最後にブルンナーが用いた概念装置も時代に拘束されているのではないかと指摘し,その被拘束性を再検討するべきだとして論を閉じる。この山田の指摘は的を射ているし,事実史料概念を「ありのままに」理解することは,歴史かの至上命題であると同時に達成困難な目標である。

なお,山田先生の著作2巻本は時間をかけて咀嚼したい論考が多数収められているため有益である。ご本人が,「創文社はこのような本を利益を度外視して出してくれる」と感心しつつもやや呆れた様子でおっしゃっていたのを思い出す。

教会から国家へ―古相のヨーロッパ (西洋中世国制史の研究)

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国家そして社会―地域史の視点 (西洋中世国制史の研究)

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