青花講座1-1 中世は「暗黒」か?
9月3日、春頃から計画のあった青花の会の講座でお話をしてきました。青花の会は新潮社のプロジェクトとして工芸品愛好家を中心に会員を集め、毎年素敵な(そして思わず身構えるほど立派な)雑誌を刊行しています。大学の公開講座を除くと、一般の方に専門のことをお話しする機会はこれがはじめてでした。どういう内容を、どんな口調で話せばいいか検討もつかなかったのですが、少し前に担当の方から常連さんもいらっしゃる旨お聞きしていたので、それなら話の筋として具体と抽象を行ったり来たりしてもついてきて下さるだろうと思い、夏休み中であることも手伝ってじっくりノートを書き溜めることができました。
お話しする内容は、今年4月に出版したウィンストン・ブラック/大貫俊夫監訳『中世ヨーロッパ ファクトとフィクション』を元に、私たちの中世観と現実との関係を問うもの。タイトルが
中世ヨーロッパにまなぶ1
ファクトとフィクション1
中世は「暗黒か」?
と3段構えになっているのは一つの工夫で、「ファクトとフィクション」シリーズはひとまず3回やることが決まっています(月1回で残りは10月と11月)。評判が良ければこのシリーズを4回、5回とやってもいいし、もし別の需要があれば大タイトルを「中世ヨーロッパにまなぶ2」にして新たなシリーズを作ってもいい。そのような自由さがあります。今回は以下の構成でちょうど90分ほどお話ししました。
- はじめに
- 中世は「暗黒」か?〜「中世=暗黒の時代」というイメージについて
- 現代に息づく「中世」の形
(1) 映像素材、SNSの力
(2) 政治的な「中世」
このうち特に調べていて興味を惹かれたのは最後の政治的な「中世」についてです。左右両極端の立場によってしばしば中世が利用されて(簒奪されて)いることを例示したのですが、これもつまるところルネサンス〜啓蒙〜近代と受け継がれる「暗黒時代としての中世」の系譜の現代的表出の形に過ぎないのではないか、という見立てです。『ファクトとフィクション』を訳し、あとがきを書いていた頃は、この暗黒史観と、スコットやモリスからトールキン、さらには日本のサブカルに受け継がれる中世主義とは別物とした方がわかりやすいと思っていました。しかし、中世を野蛮だと非難するにしても、エコな社会だと評価するにしても、中世のある種の「暗黒」さを前提としている点でそうかけ離れたものではない。そのような考えを根底に持って、昨日はお話ししました。
コロナ禍の終わりが見通せない昨今、今回は定員を15名と設定していました(いつもは30名くらい入れるそうです)。さすが青花講座の参加者、十分話を共有できていると深い確信を抱くことができました。歓談の時間も実にレベルが高い。次回は宗教と科学の関係を軸にお話しします。どうかお楽しみに。
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